那須岳


親神様のご慈悲に出会って 東京都大田区在住 Y・Yさん(男性)
   私は身上を頂くまでは、神様の存在さえも信じておりませんでした。また妻が熱心に信仰していることは知ってはおりましたが、気にも止めずにおりました。 また妻より子供が熱を出したことについて地区教会でお伺いをしていただいたので、因縁のお詫びを一緒にしてくださいと言われたことがありましたが、私に信仰心を求めるなと、一喝したこともありました。 そんな時はわたしが寝るのを待って、小さな声で名号を唱えていたようでした。それが、新聞上で花粉症のことが話題になり始めた平成十一年三月ごろから鼻風邪を患い、耳鼻科に通院しておりました。しかしなかなか良くならず、むしろ咳き込むようになり、風邪をこじらせたのだと思い、近くの内科へ行き、風邪薬をもらって服用しておりましたが、一向に良くならず変だなぁと思いつつも体が動くので、会社に行き、いつものように仕事を続けておりました。
それが、桜も散り新緑の頃になると、身体がだるく感じられ微熱も出るようになりました。それでも仕事が詰まっていたので休むことができず、作業を続けておりました。
しかし咳と熱と鼻炎に加え、汗をかくようになりだし、とうとう身体を動かす事がつらく、会社を二・三日休ませてもらいました。その間も通院をして薬を服用しておりましたが、良くなるどころか、寝汗を多量にかくようになり、せきもひどくなり始めました。それまでは、寝汗をかくと熱も下がって良くなっていたのですが、 今回は違っておりました。ますます、自分の身体の自由か利かなくなり、とうとう苛つくようになりました。
「何で自分の身体なのに自分の自由にならんのか」と自分自身に腹が立ち、ついには妻に八つ当たりするようになりました。しかしいくら考えてもどうにもならない自分の身体に困り果てているころ、妻に「普通の咳き込み方と違うので、大きい病院へ言って検査してもらおうよ」
と言われて、なぜか素直について行きました。けれども、なかなか検査をしてもらえず、やっとの思いで診ていただけましたが、検査の結果は私には知らされず、ただ先生が「おい、今日は家に帰れねーぞ」と何年も付き合っている友人のような言葉で話しかけられ、待合室で待っているように言われました。 先生が軽い言葉で言われたので、二・三日も入院すれば退院できると思っておりました。
しばらくして、妻が戻ってきて、やはり入院しないといけない事、またこの病院には空きベッドがないので近くの病院を紹介していただき、別の病院へ入院する手続きを取ったことを知らされました。その病院へ行くと、すぐに部屋に連れて行かれ、看護士さんがてきぱきと私の身体へ、酸素吸入器や、点滴をして行き、あっという間に、半重病人状態にされてしまいました。妻に聞くと風邪をこじらせたための入院で、少し肺炎を起こしているだけだと聞かされて気持ちが落ち着きました。
 しかしその晩一人になりトイレへ行こうと吸入器を外して驚いてしまいました。息が思うようにできなかったのです。
息がしづらく、とても吸入器なしではいられなかったのです。愕然としてしまいました。ここで初めてただ事ではないことに気づきました。
次の日妻が着て神様の話をしてくれました。素直に耳を傾けて聞いている自分が不思議でした。
その中で地区教会の方々が心を込めて神様に私の全快を願っていただけた ことを、妻は心を込めて聞かせてくれました。不思議でなりませんでした。見ず知らずの全然会ったこともない 人のために何故願えるのか。そして何の見返りもない人のために皆様方の大切な時間を使えるのか。今まで見ず知らずの人に、私の為に何かをやっていただけたということは 一度もなかったので本当に不思議なことでした。そしてなぜか涙だけが不思議と止め処もなく流れ、恥ずかしげも無く妻の前で泣きました。その後、素直にお授けをしてもらいました。
帰る時妻がそっと枕元へ、小さな紫色のお守りを置いて帰って行きました。その晩、自分の子供の頃のこと、母親のこと、そして自分の家族のことが 走馬灯のように浮かび泣き続けました。そしてこのままで死ぬ訳には行かない。死んではならん。なんとしてでも生きて我が子が一人前になるまでは死ねないと、 いつの間にか手を握り締めて胸に手を当てて『南無甘露台』を唱えておりました。手の中にはしっかりと小さな四角いお守りを持っておりました。 今の今まで神様の存在さえも信じていなかった人間が初めて願っていたのです。
『神様に』それも真剣に、そして一生懸命に、願っていたのです。それから数日間願い続けました。
不安になるとお守りを持って胸に当て『南無甘露台』を唱えました。数日後、主治医が来て、首をかしげながら私に言いました。
『解らないんです。不思議なんですよね。今は検査中で、何の治療もしていないのに、病状がどんどん回復していくんですよ』
私には何のことか良くわかりませんでした。
後で妻に言われて解ったことですが、実は後四・五日入院が遅れていたなら手遅れであったそうです。
肺炎がひどく、肺全体にかげがあり、重病人であったそうです。また白血病を起こしかけていたことも知らされました。 身体の力が抜けるのを強く感じました。 そして「良かった、良かった、命拾いをした。神様ありがとうございます」と深く感謝いたしました。
 肺炎の方は三週間ぐらいでよくなり、退院できるぐらいまでに回復したのですが、主治医がどうしても不思議なので、もう少し入院して検査を続けてくださいと言ってきました。肺に肺炎の痕跡が残っているので採取して、調べたいと言うのです。
私は検査するだけならたいしたことは無いと思い了解しました。しかしその検査は大変なものでした。口から肺の中へ管を通して切り取ったようでしたが、その間、咳をし続け苦しいものでした。手術室の前では妻が、あまりにも、咳をし続けるので心配になり名号を唱え続けていたそうです。
 その後、数日間はのどの痛みと血が止まらず、声も出せず二人で心配しました。検査の方はやはり原因不明で、先生も首を傾げるばかりでした。 病名の方は「過敏性肺炎です」と言われました。約一ヶ月の入院生活でした。その間仕事をしている人を見ながら、自分が取り残されて行くような気がして焦りました。 また自由に動けていることが、うらやましく思い、動けない自分が情けなく自分自身を恨みました。
しかしその都度妻から、「今は身体を休めなさいと言う親神様のお手配なのよ、焦らずに治すことだけを考えてゆっくり休みなさい」
と諭すように何度も言われました。そして、おうかんみちの事、かしものかりもののお話を聞かされました。何故か素直に聞くことができました。
退院した後は、素直に地区教会に運ばせていただき、平成十一年八月に甘露水を頂くことができました。本当に、一月間、毎日毎日遠い道のりを、看病に来てくれた妻に深く感謝しております。また地区教会の方々のお願いのおかげで、今こうして生活させていただき、また仕事へも復帰することができました。心より御礼申し上げます。
また最後になりましたが、親神様に「ならんなか」をおつれとおりいただき、どうかこれからも夫婦共々で、このおみちを通らせていただきますので、 甘露台様、諸先生方、先輩の皆様方には、これからもご指導いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。


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